【楠本イネ】シーボルトの娘でハーフでありながら明治天皇の女官葉室光子の出産に立ち会った女医

kusumoto-ineみなさんは、楠本イネという方をご存知でしょうか?

この方、日本の歴史の中ではあまり表に出てきませんが、本当にすごい事を成し遂げた人なのです。

どのような事を成し遂げた人なのでしょうか?こちらに詳しく書いて見ましたので、下記をお読みください。

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明治天皇の長女の出産に立ち会った女医

日本人の母たきと、ドイツ人のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとの間にうまれた、日独混血児でした。

「あいのこ」だと差別されながらも、
父であったフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの後を追い、
父の専門としていた西洋の産科医学を学び、医者になることを決意します。

その意思をくみ取ったシーボルト門下の宇和島藩の二宮敬作から、医学の基礎を学びました。

その後二宮の紹介で、父の専門であった産科についてまなぶため、同じくシーボルト門下であった石井宗謙に師事します。

この時彼女は石井の子を妊娠しますが、石井の対応に失望し、一人で子どもを産み、育てあげました。

その後も精力的に勉学に励み、村田蔵六(後の大村益次郎)からはオランダ語を学びました。

大村益次郎との交流はその後も続き、後年、京都にて大村が襲撃された際には、これを看護し、その最期を看取っています。

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1871年、異母弟にあたるシーボルト兄弟(兄アレクサンダー、弟ハインリッヒ)の支援で東京は築地に産科を開業しました。

その後、福澤諭吉の口添えにより宮内省御用掛となり、
金100円を下賜され明治天皇の女官葉室光子の出産に立ち会い、
明治天皇の長女をとりあげるという快挙を成し遂げ、
その医学技術は高く評価されました。

1884年、医術開業試験の門戸が女性にも開かれます。

彼女の頑張りが報われた瞬間だったかもしれません。

しかし、彼女は既に57歳になっていました。

そのため受験はせず、以後は産婆として活動しました。

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